「熊、蛇と来て、とどめは龍か。こりゃあ次の階層で何が出てくるのか楽しみになってきたね。ゆーちゃんはどう思うよ」 「楽しみ、で済ませてるあんたは相変わらずだな、って思ってるわね」 "奈落の迷宮"と呼ばれることになった、あの魔域の第一層───正式な依頼として攻略されたのはあれが初めてなので、書類上では今回のが第一層とされていて、私達が踏破したのは今後第零層と呼ばれるそうだ───に向かった冒険者達が戻ってきた日からしばらくした、ある日の黄昏時。 私はシャルロット=ラスタと、百の剣亭のカウンター席に並んで座っていた。 女将の話によれば、第一層の攻略も無事完了したとのこと。先述の通り、今度は龍が出てきたそうだけど。 いよいよもってあの魔域という存在が理解できなくなってきた。 聞いた話では、学者や神殿各位もお手上げ状態らしい。納得だ、逆にあんなものについて解明されていて欲しくない。 「いくら常識が通用しない空間とはいえ、ここまで来ると本格的に何も信用出来ないわね」 「なに、常識なんて窮屈なもん、無い方が楽しめるじゃないか。人生も冒険も」 「人生の方は常識を持っていて欲しいんだけど」 「前向きに検討させて頂きます」 「そのつもりは無い、ってことね」 「さぁどうだろう。もしかしたら、明日突然常識人になってるかもしれないぜ」 「じゃあ"なってない"に千ガメル賭けておくわ。で、そろそろ本題に入ってくれないかしら」 さて、今日私がこいつと飲む約束をしたのには理由がある。 あの魔域について確認したいことがあるから、奢ってやるついでに一杯付き合ってくれと言われたのだ。 私としては魔域の話など割とどうでもいいのだが、ただで酒が飲めるならまぁいいか、と思って承諾した次第だ。 「せっかちだなゆーちゃんは。……まいいや。真面目な話だから、出来ればそれを飲みきるのは終わってからで頼む」 私が急かすと、シャルはワインの注がれたグラスを置き、こちらに向き直った。 それに合わせて、こちらも飲むのを止める。同じ物が注がれたグラスが二つ、横に並ぶ。 そして、ワインの揺れが収まるくらいの間を置いてから、彼女はこう切り出した。 「一層目の話を聞いてどうしても気になる事があったんで、マリアンちゃんに再調査させてくれって頼んだんだ、昨日。そんで行ってみたら───驚くことに、私はその場所を知っていた」 ……さて、これはかなりの重大発表な気がするが。 「……どこだったの、それ」 「私の村の近くにあった樹海。狩りの場として有名だったから、そのまま"狩人の樹海"なんて呼ばれてたかな」 念のため確認してみたが、やはり文字通り、"魔域の中と同じ場所を知っている"という意味であるらしい。 「確信できるの?」 「あぁ。熊のいる巣穴とか、ちょっと泥濘んでる木陰の道とか、外れにある回廊みたいなとこ……七色蜂回廊なんて呼んでたな、そこまでバッチリ再現されてたぜ」 「……あんたの故郷に確認は?」 「既に速達便で手紙を送ってある。一週間以内には返事が来ると思うぜ」 「ならそれ待ちか。……しかしまぁ、よくそんな勘が働いたわね」 「これでも旅の吟遊詩人だからな。地元の話も忘れちまうような記憶力じゃあやっていけないのさ」 「その頭脳、本業でも発揮して欲しいんだけど」 「私の本業は詩人の方だ」 「あぁそう……」 とりあえず話はここまでだろうか、と思いグラスに再び手を伸ばす。 「おっと待った。ゆーちゃんに確認したいことがあるって言ったろ」 しかし、その手は止められてしまった。そう言えばそんな話だったっけか。 「何よ」 「ゆーちゃん、ヴァイスシティ出身だったろ。魔域に詳しい奴とか……あるいは、こういう感じの魔域の記録とか、知ってたりしないかなって」 なるほど、どうやら私が質問相手に選ばれたのはその辺が理由だったらしい。 確かにあの街は魔域と隣合わせと言えなくもない。そこの出身と来れば、話を聞く相手としてこの上ない選択だろう。 ……ただ、なんだ。紹介状でも書いて取り次いでやろう、と思えるような奴は記憶のどこにも見当たらない。 もっと言うと、魔域や魔神に詳しい奴はだいたいそれを悪用しようとして、違法行為に手を染めていた気がする。 「資料くらいは手に入るかもしれないけど……止めておいたほうがいいわよ。どうやっても裏社会や怪しい組織を経由しないといけないから」 「おいおい、ホワイトな研究者はいないってことかそれ。クレイジーが過ぎるな」 「あんたには丁度いいじゃない。常識なんて窮屈なもの、無い方が楽しめるんでしょ?」 「もちろん。あまりにも面白そうで既に興奮してる」 「……あっそう」 本日何度目かの溜息をついて、ようやくグラスを取り戻す。 すると私の前の空いたスペースに、シャルが一口もつけていないグラスを滑り込ませてきた。 「礼だと思って受け取っといてくれ。私は急用ができたんで失礼するぜ」 こいつがワインなんて珍しいな、と思っていたが、なるほど最初からこうするつもりだったのか。 酒飲みの私に、酒を残すなどという選択肢は───別に存在するが、要するに"止めてくれるなよ"という意味なんだろう。 まったく、こんなことをせずとも止めやしないのに。変な所で律儀な奴だ。 ……普段からもっと律儀でいろ、とは今は言わないでおいてやるか。 「一応聞いておくんだけど、どこに行くつもり?」 「どこかに行くつもりだと分かってる時点で、それ以上教える必要は無いと思うぜ」 「それもそうね。じゃ、行ってらっしゃい。幼馴染には適当に言っておいてあげるわ」 「おうよ。街から街への旅烏、ちょいと北の果てまで行ってくらぁ」 最後にそう言い残して、彼女は足早に店を出ていった。 さて、我が故郷の土産話を聞けるのはいつになることやら。 「……あ。あいつが居なくなったら、村からの手紙は誰が受け取ればいいのよ」 取り残された私は、二杯目のグラスを静かに揺らしながら、そんなことを考えるのだった。